2010年3月6日土曜日
2010年3月5日金曜日
バーデンバーデン
氷点下の気候と電車の遅れで疲れ気味だったので、テルメでなくフリードリヒスバートに行くことにしました。
本当は明日行く予定でしたが今日はプールよりもゆったりとしたい気分。
でも、明日は混浴日で今日は一部混浴、まあ、混浴っていってもジジババばかりだろうからどっちでもいいかっと
男性更衣室は左、女性更衣室は右、ロッカーからシャワーブースに行くと女の子がずらり??? 良くわかりませんが、混浴日になっていました(汗・・・。
それも、20代30代がメインで40、50代数人。
日頃の行いがいい僕はラッキーなことが起ります。
でも、ギョッとしたのは最初だけで、はじらいもなくオラオラで歩く全裸の女の子達(タオル没収されるので)なんのエロさもありません。
静かに行儀良く、設定時間通りに順番に湯を回るシステム(いかにもドイツらしい)
ぬるめのジャグジー目をつむり夢見ごごちの僕の鼻をつまんでくるヤカラが?
目をあけると、電車で座れなくて扉の近くで一緒になった綺麗な女の子、黒っぽい服を着ていたが、結構高そうな服、バッグも若いのにブランドのバッグを持っていた(欧州ではめずらしい)バーデンバーデンの地域がら育ちのいい人もくるのかな?と思っていた子でした。
ムットしたが、かわいい女の子で全裸なんでゆるしてあげることにした(笑
向こうも、電車であった僕を覚えていたみたいだ。
人の鼻つまんで、「ピノッキオ」といってるが、自分の方がよっぽど高い鼻してるのに・・・。
その後、連れの女の人(お母さんの姉妹)が来て、注意されて静かに。
どこから来たのかと聞かれ「東京」と金沢と言っても解らないだろうし、そんな知りたいことでもないだろうから。
自分達は、何処何処から来たと言ってるが何処か解らないまま適当に世間話。
チョッカイだしてくる女の子は、多分僕が若いと勘違いしてるみたいだ(w
親戚のオバサンの方が歳が近い?もしかして上かも?
ここで、初めてもっとドイツ語を勉強しとけばと後悔、後悔あとにノットスタンディング?
バーデンバーデン
冬のシュトゥットガルトでは、お城の観光はかなり厳しい(時間と寒さ)
それに、10年ぶりの大雪で、列車が止まったり飛行機が飛ばなかったりとテレビでは大騒ぎ、冬と言えば「温泉でしょう」ということで、「バーデンバーデン」に行ってきました!
ここは、ローマ時代に温泉が発見されて、皇帝が温泉地として開発さしたのが始まりらしくて、その後、ナポレオンが兵士の治療をかねて湯治場として利用したり、フランスでカジノが禁止されていたが、こちらでカジノOK!として(フランスの国境近く)貴族連中が滞在したリゾート地。
現在でも、高級ブランド店が多い(でも、凄い割高)
高級リゾートホテルは、1泊10万とかそれ以上もざらにあり、皆3週間ぐらい滞在するとか。
高級リゾートホテルは、ホテル内に温泉が完備されてるそうですが、そんな高いホテルはとまれません。
ほとんどの人は普通のホテルに、そして温泉は外湯のカラカラテルメとフリードリヒスバートに行くことになります。
カラカラテルメはルネスカナザワを大きくしたような施設で、フリードリヒスバートは200年ぐらい前に建てられた歴史のある美術館みたいなところ
DB(ドイツ鉄道)
タクシー
シュトゥットガルトやフランクフルト、バーデンバーデンで圧倒的に多いのはメルセデスベンツです。
滞在中に利用したすべてが「ベンツ」でした。
街中もベンツ、ベンツ、ベンツ。
Eクラスのワゴンなんかも結構走っています。
でも、かき回し(マニュアル車)やディーゼル車など日本で売られていない車も多数。
日本で販売されてるベンツは「グレードが高い車」ですべて高級車。
ドイツで働く車は、外見で区別は出来ないけど「大衆車」なんです。
ドイツのタクシーの運ちゃんは、労働条件も悪く大変なお仕事。
日本と比べると結構お安い料金です。
そして、結構気さくないい人が多い、「前に乗りなよ」と助手席に乗せられることが多かったです。
トラブル防止(クレーム防止)の為か、行き先をメモに書いて渡しても、ドイツ語で行きを発声させる為に発音の講義が始まります(笑
その後、簡単な雑談。
ドイツ語で会話なんてとても出来ませんが、日本語と英単語とドイツ語とイタリアの単語、スペイン語の単語などでなんとなく会話????
日本のアニメ、バラエティ(風雲たけし城、SASUKEなど)などがテレビで放送されていて、日本にとても好意的です。
タクシーのチップは、最近では払わない人(フランス人・韓国人多し)やおつりをチップ代わりにする人が増えたみたいです。
日本と比べるとタクシーは日本より安いので、良い雰囲気を作り楽しい時間を過ごせたらチップを弾んでやってください。(1ユーロでもかなり喜んでもらえますよ!、荷物も運んでくれたりして)
1986年
パリダカの創設者「ティエリー・サビーヌ」が負傷者の救助に向かう途中でヘリコプターが墜落して死去した年が1986年です。
日本の雑誌にも彼の特集が組まれていたカリスマでした。
お金を持ってるワークスだけが楽に勝てるのを嫌い、
丸一日走る長時間のレース(ゴールは日没後)の後、数時間後に深夜に次のレーススタートを行ったりしてとてもメーカーに嫌われた人でした。
眠たい状態(疲労が溜まってる)だと、どんなに速い車でも人間が着いていかない。
プライベーターも大変だろうけど、ワークスに一泡吹かせることが出来るかも?とけっこう大胆な企画も。
パリダカのティエリー・サビーヌが出場者に向けて話した有名な言葉です。
私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう
2010年3月4日木曜日
3月も寒いですね
2010年3月1日月曜日
本物です!
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